タイ王国、通称:タイ(此のページでは両方を使っています) は東南アジアの立憲君主制の国で、近世のヨーロッパによる植民地支配を受けない東南アジア唯一の国です。
 タイでは近世の建築にもヨーロッパの技術を取り入れながらもタイ独自の様式、装飾が取り入れられています。

タイ王国のページでは次の都市・遺跡群の写真アルバムを
      バンコク 
      チェンマイ 
      スコータイ 
      アユタヤ 
      クメール遺跡ピマイ・他 

 次ページ(タイ王国の概要) ではタイ観光の情報も少し紹介します。

1781年トンブリ王朝で官吏プラヤー・サンカプリーがタクシン王を退位させた、摂政となり王位をねらた。此れをカンボジアに遠征中のソムデットチャオプラヤー・マハーカサットスック『ラマ1世』が阻止し、官吏らに推挙され、チャクリー王朝(現王朝)が成立し、ラマ1世は王都をチャオプラヤー川の東岸『ラタナコーシン島』に移し、バンコックの建築が始まりました。

バンコックのページ

タイ北部の古都チェンマイはラーンナータイ王国の都として1296年にチェンラーイから遷都され、1558年ビルマの属国に成りましたが、ビルマの勢力だ弱まるとこの地域は内戦に成り破壊されました。
1796年カーウィラがチェンマイを再興し、タイ人王朝の都になました。

チェンマイのページ

チェンマイにランナー王国が成立した同じころ、タイ中部ではクメール族のラヴォー王国から独立を宣言し、タイ族の国家スコータイ王国が成立しました。
第3代の王ラームカムヘーン大王の時代マレー半島全域をも版図を広げました。
スコータイ王朝の遺跡群は、スコータイ歴史公園として保存、公開されています。

スコータイ遺跡のページ

古都アヤタヤはチャオプラヤ川とその支流パーサック川に囲まれた地に、アユタヤ王朝(1351~1767)の遺跡が多く残っています。都はビルマの攻撃を受けて、王宮は台座が残るだけで、ワット(寺院)も多くが破壊されました。

タイの中部には幾つかのクメール遺跡があります。
ピマイ遺跡、パノムルン遺跡、ムアンタム遺跡は今から1000年から900年前クメールがタイを支配していた時代の遺跡で、タイ歴史公園として保存・公開されています。

ピマイ・クメール遺跡のページ