メキシコの正式名称はEstados Unidos Mexicanos(メキシコ合衆国、 英語名:The United Mexican States)で北アメリカ大陸の南部に位置する、 ラテンアメリカに属す連邦共和国です。面積は日本の約5倍197万平方Km。
首都はメキシコ中央高原のメキシコシティで国名と同じ為、シティを付けて呼ばれる。

    先古典期

紀元前2300年頃には現在のメキシコの地域では土器がつくられた、 これ以降をメソアメリカの研究上『先古典期』と区分される。
先古典期中期(紀元前1200年頃)にアメリカ大陸で最古の文明で「巨石人頭像」を残した『オルメカ文明』がメキシコ湾岸のラ・ベンタ(La Venta)、 サン・ロレンソ(San Lorenzo)地域に興った。
先古典期後期(紀元前300年頃)にはユカタン半島に『マヤ文明』の祭祀建造物を含む都市が建築された。 『マヤ文明』は古典期(A.D.300~900年)には『ティカル』、『カラクルム』、『チチェン・イッツァ』等の現在残る大都市遺跡が造られ、大都市国家は覇権を争っていました。

テオティワカン文明

先古典期の終り、紀元前2世紀頃メキシコ中央、現在のメキシコシティーの北東に宗教都市テオティワカンが築かれた。 テオティワカンは経済力と軍事力で遠くはガアテマラのティカル等をも間接的に支配した。

  テオティワカンの月のピラミッド

  チチェン・イッツァのピラミッド

  マヤ文明

8世紀の『マヤ文明』は絶頂期で、此の時期の建築、石彫、土器等に豊かな芸術性を窺う事が出来ます。
 9世紀頃マヤの諸都市は次々と衰退していきました。衰退の原因説はいろいろ考えられていますが、複数の要素が重なっているものと考えられています。

  アステカ帝国

狩猟の民アステカ人は14世紀にメキシコ中央高原テスココ湖の小島に都市『テノチティトラン(現在のメキシコシティー)』を築き、 周辺に勢力を拡大、1418年アステカ三国同盟を結成、『アステカ帝国』と言われる国家がつくられた。
『アステカ帝国』の領土は15世紀終りには太平洋沿岸まで達し、『テノチティトラン』の人口は数十万人に成った。
『アステカ文明』は『オルメカ文明』、『テオティワカン文明』、『マヤ文明』を継承しては高度な建築技術、工芸に優れ。天文学では精巧な暦を作り上げた。
これ等の文明は農耕、文化に共通な特徴を持ち、『メソアメリカ文明』と定義されています。

スペイン植民地

1492年「クリストーバル・コロン(コロンブス)」がアメリカ大陸を発見(ヨーロッパ人として)すると、ヨーロッパ人によるアメリカ大陸への征服がはじまる。
1519年スペイン人「コルテス」がメキシコに上陸、スペインにより1521年にアステカ帝国は滅亡し、 スペインはアステカの財宝を略奪し、首都『テノチティトラン』を破壊し、 遺構の上にスペインのメキシコ植民地ヌエバ・エスパーニャの首都(現メキシコシティー)を建設した

2002年7月メキシコのメソアメリカ文明の遺跡、チチェン・イッツァとテオティワカンを見に出かけました。
今は無くなってしまいましたが日本航空が「成田・バンクーバー・メキシコシティー(JL10,JL11)」を運行していて、 『悟空』でロス・アンジェルス、カンクン、メキシコシティーの3都市滞在、アメリカの入国税込みで¥96,000.-、燃油サーチャージも無し。
(現在、メキシコ航空が週3便、成田・メキシコシティーを運行。成田に向かう便はティファナ経由)
チチェン・イッツァへ観光ツアーはカンクンの路上には色々なツアー会社が露店を出していて、 食事、帰りにセノーテ見物つきの日帰りツアーを利用しました。(2002年・US$40)