フランス領インドシナ
・『阮朝』は中国でのアヘン戦争でのヨーロッパの軍事力に脅威を感じながらも鎖国政策、キリスト教弾圧政策を続け、
1858年の仏西連合郡のダナン侵攻、占領をゆるした。
・ 第4代皇帝「嗣徳帝(トゥドゥック帝:1847年~1847年)」は普仏戦争の敗戦処理に忙殺されるフランスとの間に1974年甲戌条約(第2次サイゴン条約)を締結した。
・1883年嗣徳帝(トゥドゥック帝)が死ぬと『阮朝』では1年間に皇帝の廃立、毒殺、崩御と4人も皇帝が変わる混乱の中フランスはフエに侵攻。
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・ 1885年にはフランスが中国に勝利し天津条約により中国はフランスの保護領化を認め『阮朝』をフランスの保護国とし、実質フランスの支配下に置かれた。
・ 1914年第一次世界大戦が起こると、阮朝の内部では「維新帝:ズイタン帝」を擁して対仏戦を計画、失敗する。
・ 「維新帝」に変わって「啓定帝(カイディンン帝:1916年~1925年)」が即位
・ 「啓定帝」が死ぬと[保大帝(パオダイ:1925年~)」が即位、「パオダイ」は幼少からフランスに留学、1932年帰国し政治改革を目指すが内外の反発から挫折、政治への関心が薄れ、ほとんどを南部の高原リゾート『ダラート』で過ごした。
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