ゴシック地区はローマ帝国の時代には殖民都市『バルシノ』が在った場所で城壁に囲まれていました。
801年フランク王ルートヴィヒⅠ世はバルセロナをイスラム教徒から奪還、フランク王国スペイン辺境領としました。
フランク王国の解体によりバルセロナは自立、カタルーニャ君主国となり、通婚により12世紀にはバルセロナはアラゴン連合王国の構成国ととなり、勢力を伸ばしました。
此の時代にゴシック地区の建築の多くが建設されました。

   バルセロナの大聖堂

単に『ラ・セウ』と市民から呼ばれる『サンタ・クレウ・イ・サンタ・エウラリア大聖堂』は1298年、バルセロナ伯ジャウマⅡ世の時に建築が始まり、 凡そ150年掛けて完成し、バルセロナの守護聖人である『聖エウラリア』に献堂されました。
『サンタ・クレウ・イ・サンタ・エウラリア大聖堂』バロック様式の建築ですが、1888年のバルセロナ万博の時ファサードはネオゴシック様式に改装されました。

サンタ・マリア・ダル・マル教会は14世紀の初期(1329年と思われている)に始まったゴシック様式のバシリカで、大聖堂が王家や聖職者が中心に建築を進めたのに対し、海運関係者により建築されました。

   王の広場

三方をゴシック様式の建物に囲まれ、14世紀~16世紀にかけてバルセロナを支配したアラゴン王国の中心広場。
14~15世紀にバルセロナを支配したアラゴン王国の中心広場です。
 アラゴン王国はバルセロナをイスラム教徒から奪回したフランク王国のスペイン辺境伯領が独立した。

   サン・ジャウマ広場 ※※※

サン・ジャウマ広場(Placa de Sant Jaume)を挿んでカタルニャ自治政府の本部とバルセロナ市庁舎が建っています。

地下鉄4号線ジャウマ・プリメ駅からジャウメ通りに、約150メートルで広場に出ます。
又、ランプラス通りリセウ劇場の角から対面を約200メートル。